技能職紹介 「洋服裁縫師」
あなただけのお洋服 洋服裁縫師さん
洋服裁縫師さんってどんなしごと?
その名の通り洋服をつくる人のことです。お客さまの好みや体の形に合わせてデザインを決めて採寸し、型紙をつくり裁断、縫製の作業を行って一着の洋服を完成させます!
ブラウス、スーツからフォーマルドレスまで、こまかいところまでこだわって、着る人のことを考えたオリジナルの洋服をつくります。
洋服裁縫師さんの技
今回は取材させていただいた洋服裁縫師の鳥澤さんに、ズボンを作る簡単な流れを見せていただきました。
切り抜いた生地に型紙をうつす(印をつける)方法として、きりびつけ(糸で型紙の形をとる方法)の技を見てみましょう。
型紙を合わせ、しつけ糸でぬい線を5cmおきぐらいにぬいます。
重なっている布を開いて、間のしつけ糸をチョキンと切ります。それから上の余分を切り落とします。こうすると布の裏表両方に印がつきます。
それから平面の布を立体にするためのダーツぬいをします。
あとはファスナーをつけたりポケットをつけたりしてズボンになります。
洋裁の道具として“のみ”も使います。ボタンの穴は、はさみを使うと少し曲がってしまいますが、のみを使うとまっすぐきれいにあける事が出来ます。
※豆知識 洋服裁縫師さんのお仕事には布をぬうだけではなく、デザイナーやパタンナー(紙に書かれた平面のデザインをイメージ通りの立体的な洋服に起こす人)の仕事も含まれています。経験を積んでいくとファッション雑誌の洋服の写真を見ただけで型紙を書き起こすことができるそうですよ!
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洋服裁縫師さんの道具
裁ちばさみと糸
わたり幅など様々な体の部位を測る定規。今はメジャーですますことが多いようです。
足ふみミシン。足でふむ事でミシンが動いて生地がぬえます。
ロックミシン。生地のぬいしろがほつれないように布の端を綺麗に切り揃えながらぬってくれます。
アイロン。通常の物より重たいです。
洋服裁縫師さんの作品
デザイン、生地選び、型紙作り…とゼロから作り上げた婦人服の作品です。
棚の中には生地がいっぱい。洋服にしてもらう日を待っていますよ。
洋裁の歴史
1859年に来日したブラウン夫人は、神奈川県成仏寺(今の神奈川区) に落ち着きました。
1860年にブラウン夫人の助手となった足袋職人の沢野辰五郎さんに、持参した裁縫ミシンで縫製技術を教えたといわれています。その後独立して日本初の洋服裁縫師となったそうです。
洋裁業としては1863年英国人のミセス・ピアソンが横浜居留地97番に ドレス・メーカーを開店したのが日本の洋裁業の始まりだそうです。
戦後には、アメリカの文化が日本に入ってきて、それにともない洋服が日本の女性の間でも流行りました。そして洋裁ブームがおきたのです。
今のように既製服(商品化され大量生産した衣料品)がほとんど無かったので多くの女性が洋裁学校などで洋裁の技術を学びました。それから洋服店で働いたり、自宅で服を縫ったり、あるいは洋裁技術を教えたりして収入を得たそうです。
現在は安い既製服もたくさんあり、洋服を自分で作る必要はなくなりましたが、オリジナルの洋服作りなど、商業用だけで無く様々な形で手作りの服を楽しむ人はたくさんいるようです。
洋服裁縫師さんの魅力
現役の職人さんに仕事の面白さを聞きました!
★神奈川県洋装組合連合会 洋裁技能士 山本美恵子さん
子供の頃は、ほとんどお母さんの手作りの洋服でした。可愛いフリルのあるブラウスや、ギャザーのいっぱい入っているスカートはとても気に入って大切に着ていました。
その母に「女も手に職を持ちなさい」とすすめられて洋裁の仕事を選びました。洋裁学校で勉強し、洋装店で働いて、自分のお店と洋裁教室を経営しています。
着る人の目的に合わせて仕立てるのは大変ですが、お客様に気に入って頂いた時の喜びは格別です。
これからも、一人でも多くの人に、手作りの温かさとものづくりの大切さを伝えて行きたいと思っています。
写真は、横浜市技能文化会館「洋裁クラブ」の講師
左から 渡辺先生・石塚先生・山本先生・砂山先生・丸小野先生
洋服裁縫師さんになるには?
洋裁学校や服飾系の専門学校を卒業したあとアパレルメーカーや洋裁店に就職する人が多いようです。その後、フリーになったり店舗を開業したりする人も。
現代の衣類は、既製服がほとんどなのでオーダーメイドだけではなく寸法直し、修理、リフォームを仕事にする人が多いです。
製図や縫製などの基本的な技術を習得して一人前になるにはおよそ10年程度の修行が必要といわれています。
何より洋服を作りたいという熱意があり、手先が器用で忍耐力のある人が向いているといいます。