会館技文便り「館長より」□■□技文便り□■□”Vol.31”館長より 2013/10/102013/10/10
『不思議な体験』市民の皆さま
いつも当館をご利用いただきありがとうございます。
私ごとで恐縮ですが、先日、亡き父の法要で帰省しました。
お経をあげていただいた和尚さんは、
父の生まれ故郷にあるお寺さんのご住職で、
私も祖父の葬儀で初めてお会いしてから、
40年間お付き合いさせていただいています。
その間、祖父母、親戚、父の法要で幾度となく
和尚さんのお経を聴く機会がありましたが、
今回の法要だけは勝手が違っていました。
何か、身体の調子が悪いのか、喉に変調をきたしたのか、
念仏を唱えるのに大変苦労しているようでした。
法要に参列した親戚も、同様に感じたのか、
「どうしたんだろう?」との雰囲気が漂いました。
法要後、いつもの和尚さんの挨拶が始まりました。
開口一番。
「皆さん、すんません。今日は声が出ませんでした。
こんなことは48年間の住職経験で初めてです。
実は、、、」と以下のような話をされました。
仏さんを供養させていただく時はいつも、
その方を念じながら念仏を唱えるのだそうですが、
今回だけは、いつにも増して亡き父を身近に
感じてしまい、声が出なくなった、と。
また、念仏を唱えるご住職自身の在り方についても
触れられ、歳を重ねるごとに、木々の年輪の如き、
念仏を唱えている自らの感じ方(体感)が変化していく
のを感じていたそうです。
和尚さんのお話を聞きながら、もしかすると今回の体感は、
ご住職の積み重なった48年もの経験と相まって、
まさに“感極まった”のではないか、と感じました。
住職という職業は、まさに職人の世界です。
私たち素人や門外漢の者では、その深遠さを
推し測り得るものではないと思います。
しかしながら、経験と生きる年月を積み重ねる
ことによって磨かれるものとは、
技のみならず、その人自身。
常に、人の生死に直面する宿命。
決して感情をあらわすことなく、
ひたすらに念仏を唱えることを業しながらも、
磨かれる人間性とは、喜怒哀楽のある「素」
「あるがま」の自分自身に還ることでは、と。
皆さんはどうお感じになられますか?
平成25年 寒露
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館長メッセージが掲載されている
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10月に入り、夕方、
地下1階:オーディオルーム前
素敵なのにカンタン!を
使い慣れた裁縫道具や、
ミシンの使い方から、裁縫の仕方まで、
次回は未定ですが、
ベストセラー講座である「陶芸教室」。
これまでに形作ってきた作品を、
毎回、様々な作品となって焼き上がります。
毎週火曜日18:30~20:30開講中です。
回数を重ねるごとに、
タイトルに、
各ブースは、
今回のフリーマーケットは、
満員御礼の「胡麻と胡麻油を学ぶ会」
胡麻は一粒で1本に育ちます。
岩井の胡麻油は
当館の販売において、

















































技文農園の野菜たちも、
”日本の夏”といえば、
中華街では、お祭りが行われ。
横浜市技能文化会館では、
また、夏休み特別企画として
同じ一夏を過ごせる喜びを共に、




横浜と言えば赤い靴だ。
ベルト1本の他には
製作に使用した
技術の進歩のお蔭で
小玉の紫キャベツを収穫しました。
結構、
考えてみれば、高原野菜としての定番で、
元町で理容店を営んでいたO氏から
そのほとんどが「SOLINGEN」の
ゾーリンゲンは刃物の生産で知られる都市で
O氏のカミソリは、
刃物の質が良く、
O氏と同世代の私の祖父や大正生まれの父が

